ボート ライフ 思考

コックス選考の前後に思うこと

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しばらく間が空いてしまった。ついつい、さぼってしまう。書き出すと長くなって、時間がいくらあっても足りないのをどこかで知っているからだろう。

本当はオリンピックに挑戦さえできずに終わったことや、それに対する不満や文句や怒りなど、記しておいたらいいのかもしれないけど。

目次

コックス選考

今日は社会人選手権の部内コックス選考があった。昨年から後輩が1人いるので、大きなレース前はシートレースがある。

自分でマインドを創作して臨み、取材対応などもある中で、自分の中に存在していること、発見していることを改めて書いてみる。

佐々野さんでも緊張するんですね、なんて言われたが・・・

評価判断されることへの恐れ

自分は評価や判断、ある種の判定ををされることに大変な抵抗がある。と思っていた。

では、コックス選考となると・・・?

状況は自分に不利なようにしか見えない。例えば、業務で到着が普段から遅れがちとか、どちらが先攻でどちらが後攻とか(もちろん、どちらが有利とかない)。

能力は自分が劣っているようにしか見えない。相手の方がキャラ的に受け入れられていて、話す能力があって、自分は思考力はある方だけど、そんなものは求められていなくて、(良い方に)評価されていなくて、「頭かてーんだよ、小難しい言葉使いやがって、おまけに仕事仕事かよ」と思われているんじゃないかとか、勝手に思えてくる。

書き出してみるとなかなかひどいもんである(笑) 私は生粋のネガティブなのだ。

それぜーんぶ、ウソだから!

ここで重要なことは、ひとつも真実はなく、私が(勝手に・自動的に・もはや選択の余地もなく)思っているだけ。

いや、もちろん何かを思われていることは間違いないけど、それは本人の口から聞かなければわからない。

ポイントは、そんなふうに評価判断されることに恐れがあるので、勝手にそういう状況に「自分が」見ている。もはや幻覚とも言える。

比較をされることへの恐怖

そんなふうに恐れていることも間違いないのだけど、選考に対するマインドを創作している段階で再発見があった。

人間が今生きている時の感情の揺れ動きの源は過去、それも幼少期の頃の体験が多いのだけれど、私は足が遅かったことが影響していると思う。

そもそも、比較対象との間に圧倒的な能力差があれば、緊張もネガティブもない。ロベルトカルロスにキック力で勝てるとも、勝とうとも思わない(なぜか頭に浮かんだのでこの例え)。

実力が拮抗している相手との比較

思い出す小学生の運動会。徒競走でいつもビリから二番目だった。速い連中とやって負けるのならいいが、そうではない。本番の6人1組の徒競走の出走順を決めるための徒競走がある。運動会の1-2週間前か。ここでは実力はランダムなので、足が遅い私は、まあ遅い。その後その結果をもとに速さの順に6人1組を組むので、大体同じ実力の6人1組になる。出走順は後ろから数えて5番目以内じゃないか。その中で、ビリから二番目。運動会が終わって待っているのは、悲しそうなでもあり、冷やかしてくる父親。「なんしよんかー。遅いなー。」ショックだけど平気なふりをして、とても恥ずかしい自分。

今の感情を作り上げている過去の体験

今ではなんともないが、小学校低学年の男子にとっての「足が速いことの価値」と言えば計り知れない。そのうえで絶対神である親からの冷やかしのダブルパンチ。私はこのことをきっかけに、「自分には価値がない」という世界を作り上げ、「比較されることへの恐怖」を抱いているのだと思う。

過去と今を剥がす

その過去と、いま生きている現在を区別できた時。そうか、自分は過去に傷ついた経験から、比較されることを恐れていたのか!自分一人で(悪い)評価をされることに対してというよりも、相手がいて、それも実力が近くて、今から競争ですよ、とそういう状況だからビビってんのか!と発見した時、ようやくなんともない自分が手に入る。この感覚。

自分を騙すのは自分。自分を創作するのも自分。

「あいつの方が下手だよね」「あのコールのせいだよね」なんて言われるのではないかと、悪い思考が頭を巡ることはもはや止まらないが、そんな自分の自動的なネガティブに負けてはならない。

失敗は怖い。何かが壊れてしまうかもしれない。しかし、チャレンジすることが自分の価値だと信じて、今日はこのトライをしよう、とクルーに提案できる。

コックス選考と捉えるとこの日の練習は特に特別なものだが、社会人選手権までの一連のトレーニングの中のひとつなのだ。

自分がよく見られようとか、高く評価されようとか、そっちのほうに行くと変になる。

大切なことは、クルーのスピードをいかに創ることができるか、自分が貢献できるか、自分の価値をチームに提供できるか、である。社会人選手権決勝で、最高の結果を作っているという未来から来て、どのようなレース運びをするための、今この練習なのか、である。

自分の内部で発生するネガティブに牛耳られている場合ではないのである。そうやってあたふたしているのは、ある意味で暇と言える。自分のコミットメントと向き合って行動していないのである。

そうやって区別して整理して、初めて私は私であれる。よし、私は感情100%の自分で今日をプレーしようと、ボートに乗り込む。

体裁を整えたり、カッコよく推敲したりすると、また時間がかかって結局投稿しない、なんてことが起きそうなので、続きは明日か明後日にするとして、今日はこれでポストすることにする。

続きは、コックスって本当に不思議なポジションですよね、なんて話。明日には結果が発表されているから、もしかしたら手が止まっているかもしれない・・・

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