全日本選手権、大学選手権、終わりましたね。この間にも、高校生からメッセージがあったり、大学生からメールをもらったり話したりと、たくさんの想いに触れることがありました。そんなことを想いのままに、ここまで競技をやる中で考えてきたこと、今思うことを口語調で書いてみます。
勝ってもべつに何も変わらんよ。常に不満足は残るし。
僕は自信があるというわけでも、自信が無いということもない。
弱気になることや調子に乗ることはあるけど、未来のことを思う時に、
まだ何も起きていないのに、自信がある方が変と思う。自信が無いというのも同様に。
勝利したら何かが変わるというのは幻想です。少し気分は変わるかもしれんけど。
レースで1着でも、翌日仕事したらそのパフォーマンスはボロボロかもしれんし。
束の間の達成感や高揚感はあれど、人生バラ色の日々には、ならないです。残念。
僕なんて学生時代負けっぱなしやったし。いーっつも4位。
決勝行って、1クルーだけ表彰式に行かず、即、2200mでターンして桟橋につける。無念。
当時、誰よりもボートに時間と情熱注いどると思っとったし。
上手いとか下手とかではなくて、それは一番って「勝手に」思っとった。
でも勝つのはたった1クルー。仕方がない。
サボってても、自分より練習してなくても、勝ったやつは勝ったやつが勝利者。
あとは全部負けよ。
いや、そりゃ勝ちたかったけどね。
それで、「あれだけ練習したのに、自分には才能が無いんや」とか絶望しても、
何も現実変わらんし、達成したいことは達成しない。
そして、自分には才能が無い(例えばだけど、「自分には向いてない」とかも同じであるという意味で)と絶望したいなら、絶望のどん底まで、泣いて泣いて、枯れるまで泣いて、悔しさを噛みしめても、それでもいい。
本気でやっとる人しかそう思えんのやけ、それもまた財産。
というかね、長い人生、一生懸命勝利に拘ってやって、負けてもいいと思うんよ。
悔しくて、次に向かうエネルギーになれば。宮本浩次風に言うと、「さあがんばろうぜ!」って。
また起き上がるのに時間はかかるかもしれんけど、それが人生の味やん?
僕自身は、例えばお酒を飲んで気分を晴らすのは、物事を本当に解決することから逃げているような感覚がして苦手やけど、そうしたい人は、適度にそうすればいいと思う。
それに付き合ってくれる仲間がおるなら、それもいい人生。
だらだらと朝まで泣くのもいい。
僕は朝から熱狂的に夢を語ってる方がいいけど。お酒じゃなくてコーヒーで良い(笑)
どんな結果でも褒めてくれる人は一定数おって、批判してくれる人も一定数おる。
なんなら、結果を出す前と後で比べて、批判的なコメントは増えるくらいに思った方が良い。
それは、アドバイスしてあげたい純粋な気持ちなのか、自分はあなたに負けてないよってマウント取りたいのか、真実はわからんけど。(余談になりますが、私より若い人の方が「教えてください!」というスタンスの人が多くて、私より年配の人の方が「いや、あなた(のクルー)はここがこうでね…」という人が多い。当然か?)
僕は一面ではキラキラシェアしているように見えるかもしれないけど、忌野清志郎風に言うと、いいことばかりはありゃしない、です。
でもさ、批判してくるやつとか、見返したいやん?
はっ!?うるせーよ!って、がんばるのも、それでいいと思うけど。どうでしょう?
むかつくもんはむかつくし。自分を守るために、そうやって根性で戦っても、いいと思う。
ただ、真のパフォーマンスというか、歓びみたいなものは、この敵対心根性みたいな、恨みを晴らすみたいな出発点からは、出てこない。この領域を脱して初めて解る。
でもこれも、経験せな分からんけん。
ひとつひとつ、噛み締めて、味わって、進んでいけばいいんやないかなあ。
もしも不幸のどん底にいる人がいたらイメージしてほしいのは。
日本地図を思い浮かべて、さらに高度上昇して、地球を俯瞰して見てみる。
青い地球が見えてくる。
数えきれない人がこの世界で、自分が主役のドラマを生きている。
笑いあり、涙あり、嫉妬や執着や、その他たくさんの感情を持ちながら。
みんな、自分のことは一生懸命に、この地球上で私だけがこんな思いをして、大変な目に遭って、辛くて…って、もう一度言うけど、「みんな」そんな風に生きてる。
あなただけじゃないです。
甲本ヒロト風に言うと、「俺には悩みなんかない 地球が悩んでるほどの」って笑い飛ばせる感覚になってもらえると、嬉しい。
不幸のどん底に関連するように思い出した、10年前の話をしたいと思う。
2011年インカレ。
僕らのエイトは敗復落ちした。
当時の部のレベルから、それは考えられなかった。あってはならなかった。
少なくとも順位決定は絶対であった。
その夏、僕らは負けた。
時の主将は運命をどれだけ恨んだだろう。
地震と津波が、全てを壊した。
絶望の中で、命だけが助かった。
本当にそんな感じだった。
彼においては、ご家族の安否が最終的に確認できたのは、3.11から数日後のことだったと記憶している。
大学の前半セメスター開始は延期し、戸田に残ったまではよかった。
授業が始まってからは大変だった。
対校エイトは週末に戸田で漕いだ。平日も長沼に通った。大学のある仙台から片道2時間だから、狂気の沙汰である。
それ以外のメンバーは週末のみ長沼で漕いだ。平日はひたすら大学でエルゴだった。
他者を慮ることを知らなかった当時の若造の私は(今もか)、そんな背景を知っていながらも、その立場に立って考えることはできず、バチバチに意見をぶつけていた。
(数年経って、そのことを謝りました。)
話が逸れたので元に戻す。
今年2020年も、いわば災害に遭ったような年だったかもしれない。
我々社会人は一部を除き、来年がある選手の方が人数としては多い。
学生はそうはいかない。多くの人にとって、3回か4回出場できる数少ないチャンスの1回であり、唯一のラストレースだった選手もいるだろう。
真剣であればあるほど、当然あるはずだと思っていたものを失った時や、期待が外れた時の落胆や絶望は大きい。
毎日目標に向かい、自分に向き合い、誠実にに生きている証だ。
そんな人にしか、本当の人生の味は分からないのかもしれない。
ただ生き延びるために生きることもできるこの令和の時代に、わずかな期間ながらも人生をかけて闘い抜いた、そしてこれからも続くかもしれない未知の不安と苦難を抱えながら挑んだ、そんな学生たちに全力で拍手を送りたい。